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【開催報告】第1回大学イノベーターズフォーラム 田坂広志氏講演記録アップ!『二十一世紀の大学 3つの変化』

大学イノベーターズフォーラム2005
大学が「大いなる学びの場」であるために
社会のリソースを活用して「大学の教育力」改革に取り組む
実践者が集結!

第一部:田坂広志氏 講演記録

二一世紀の大学 三つの進化

今日は大学の未来を考えるフォーラムが開催されるというこ
とで非常に楽しみにしていたのですが、なぜか私に基調講演
を、というご依頼がありました。大変光栄には思いますが、
最初に申し上げておきます。本日この場に集まられた方々の
中には、私などよりももっと深く大学の未来を考え、その変
革のために、日々、現場で悪戦苦闘している方々が数多くい
らっしゃいます。それにもかかわらず、私に基調講演のご指
名があったのは、おそらく、私が民間企業の世界を長く歩み、
企業の変革に取り組んできた人間であること、そして同時に、
ここ六年間、大学での学生の教育や、社会人大学院での人材
の教育に携わってきた人間であることが、その理由かと思い
ます。従って、この講演も、そうした立場の人間として、話
をさせていただきます。

さて、二一世紀、これから大学がどのような進化を遂げてい
くのか。今日は、そのテーマで話をさせていただきたいと思
いますが、しかしながら、こういう話は、ただビジョンを語
っただけでは意味がない。何よりも、語る人間の思いがこも
っていなければ、皆さんの参考にならないと思います。そこ
で、大学について、私自身が最も深く思うこと、最も強く願
うことを、お話させていただきたいと思います。

私は、いま、多摩大学に籍を置いていますが、六年前に、教
授として初めて学生の講義を担当するとき、周りの先生方か
ら言われました。「最近の学生は、授業中に居眠りをする、
雑談をする、携帯で電話をする、そういう酷い状況だ」。そ
ういうことを聞かされました。しかし、実際に講義を行って
みると、そうではありませんでした。私の講義は、拙い講義
ですが、真剣勝負で講義をさせていただいています。その講
義に対して、二百名の学生が、皆、実に真剣に話を聴いてく
れるのです。そして、こうした言葉を語っても、正面から受
け止めてくれるのです。

「志」
「使命感」

こういう古い言葉は、最近の若い方々には受け止めていただ
けないかもしれないと思っていたのですが、講義を聴いた女
子学生の方から、「これからは、志を抱いて生きていこうと
思います」という真摯な所感をいただいたりします。

やはり、時代を超えて変わらぬものがある。二一世紀の大学
においても、学ぶべき大切なものは、「志」や「使命感」を
抱いた生き方なのでしょう。そして、いま、多くの若い方々
が、そうした生き方を求めています。多摩大学での講義を通
じて多くの学生と触れ合い、私は、そのことを教えられまし
た。

そのことを申し上げたうえで、それでは、二一世紀、我が国
の大学は、何をめざすか。

最初に結論から申しましょう。
これから世の中には、「三つの大きな変化」が起こります。
その変化に伴って、大学もまた、「三つの進化」を遂げてい
かなければならない。私は、そう考えています。

まず、第一の進化は、
「プロフェッショナル・ユニバーシティ」への進化です。

これから、大学は「プロフェッショナル」を育成する大学に
なっていかなければなりません。しかし、こう述べると、
「昔から、大学では、プロフェッショナルを育ててきた」と
いう反論があるかもしれませんが、実は、これまでの大学が
育ててきたのは、「プロフェッショナル」ではなく、「ナレッ
ジ・ワーカー」(知識労働者)だったのです。

では、「プロフェッショナル」と「ナレッジ・ワーカー」の
違いは、何か。

いま、有識者に「これから、どのような社会が到来するか」
と聞くと、誰もが、「知識社会が到来する」と答えます。で
は、「知識社会とは、どのような社会か」と聞くと、やはり、
多くの方々が、「知識社会とは、高度な専門知識が価値をも
つ社会だ」と答えます。しかし、実は、そうではありません。
むしろ、知識社会とは、「知識が価値を失っていく社会」な
のです。このことを、深く理解しておかなければ、これから
到来する社会を見誤ることになるでしょう。

では、なぜ、知識社会では、「知識」が価値を失っていくのか。

例えば、いま、みなさんがお持ちの携帯電話。これは単なる
電話ではなく、実に便利な情報端末です。これを使って、い
つでもどこでも簡単にウェブサイトにアクセスし、ニュース
や時事などの最新知識、辞書や事典などの専門知識を得るこ
とができる。また、パソコンを使ってネットの「ナレッジ・
コミュニティ」に参加すると、メンバーから様々な最先端の
知識や高度な専門知識を教えてもらうことができる。すなわ
ち、ネット革命とIT革命が進展した結果、「言葉で表せる
知識」は、誰でも、手間も時間も費用もかけずに入手し、活
用できるようになった。大学での研究成果を載せた最新の論
文でも、いまでは研究室のウェブサイトですぐに発表される。
このように、情報革命の結果到来する知識社会においては、
最新の知識や専門の知識は、誰でも容易に手に入れられるよ
うになっていくため、「言葉で表せる知識」は、その相対的
な価値を失っていくのです。

そして、「知識」が価値を失う理由は、もう一つあります。
知識社会においては、せっかく入手した専門知識が、すぐに
陳腐化してしまうからです。例えば、コンピュータ言語など
は、どんどん進化していくため、せっかく苦労して学んでも、
すぐに古くなってしまう。また、構造改革の時代には、法律
や会計などの専門知識もどんどん変わっていくため、やはり
すぐに古くなってしまう。このように、知識社会においては、
知識の「共有化」と「陳腐化」がすごい速度で進んでいくた
め、「知識」が価値を失っていくのです。

では、「知識」が価値を失っていくとすれば、何が価値を持
つようになるのか。

「智恵」です。

「言葉で表せる知識」ではなく、「言葉で表せない智恵」

それが、価値を持つようになっていきます。なぜなら、ネッ
ト革命やIT革命が進んでも、この「言葉で表せない智恵」
は、なかなか共有することができないからです。また、ひと
たび身につけた「智恵」というものは、決して古くならない
からです。

そして、この意味における「知識」を身につけた人材が「ナ
レッジ・ワーカー」(知識労働者)であり、「智恵」を身に
つけた人材が「プロフェッショナル」なのです。

従って、これからの時代の大学は、「プロフェッショナル」
を育てなければならない。単に専門的な知識を教え、「ナレッ
ジ・ワーカー」を育てるのではなく、深い智恵を伝え、「プ
ロフェッショナル」を育てていかなければならないのです。

これからの時代、ただ、専門知識や最新知識を学ぶだけであ
れば、Eラーニングで十分でしょう。わざわざ大切な時間を
使い、手間をかけて大学のキャンパスに足を運ぶ必要はない。
そのため、これからは、大学の持っていた「知識を学ぶ場」
としての役割は、どんどん小さなものになっていく。そして、
大学の「智恵を学ぶ場」としての役割が、ますます重要にな
っていくでしょう。

このことを「人材論」で考えてみましょう。
これからの時代、大学はどのような「人材」を育てていくか。
そのことを考えるとき、二つの言葉を、しっかりと使い分け
ていく必要があります。

「求められる人材」
「活躍する人材」

この二つは、しばしば、世の中で、同じ意味の言葉であると
誤解されています。しかし、この二つの言葉は、まったく違
った意味の言葉です。「求められる人材」とは、人材市場で
ニーズがある人材のことです。一方、「活躍する人材」とは、
職場や仕事においてリーダーシップを発揮できる人材のこと
です。そして、専門的な知識を身につけた「ナレッジ・ワー
カー」は「求められる人材」にはなれても、「活躍する人材」
になることは約束されていない。例えば、パソコンの基本ソ
フト、ウインドウズの使い方を知っている人は、その求人ニー
ズがあるかぎり「求められる人材」になることはできる。し
かし、その知識だけで「活躍する人材」になることはできな
い。

では、「活躍する人材」になるためには、何が必要か。

「職業的な智恵」です。

「専門的な知識」だけでなく「職業的な智恵」を身につけた人材。

それが、これからの時代、「活躍する人材」となっていきます。

では、「職業的な智恵」とは何か。
例えば、活躍する弁護士を考えてみると分かりやすい。ある
日、事務所にクライアントがやってくる。親族が亡くなり、
相続の問題で争いが起きている。クライアントは、感情的に
なっており、頭が混乱したまま話をする。しかし、その混乱
した話を10分ほど聞いただけで、その弁護士は、問題の要
点を掴み、分かりやすく答えてくれる。
「いまのお話は、法律的には三つの問題があります。そして、
もし法廷闘争をなさるのであれば、二つの方法があります。
その時には、まず事前に相手方の弁護士との交渉が必要でし
ょう。また、法廷闘争の前に、現地の調査をしておいた方が
よいでしょう。法廷闘争だけでなく、その事前交渉も現地調
査も、私の事務所で対応できます」
こういった弁護士が「活躍する弁護士」でしょう。この弁護
士は、もちろん、法律についての「専門的な知識」は持って
いる。しかし、決してそれだけではない。それに加えて、ク
ライアントの混乱した話の中から要点を掴み取る理解力、瞬
時に法廷闘争の戦略を考える立案力、事前の交渉を行う交渉
力、現地の調査をする調査力、さらには、クライアントの気
持ちを落ち着かせる人間力、そうした「職業的な智恵」を豊
かに持っている。そして、こうした「職業的な智恵」とは、
「専門的な知識」とは直接関係のない力です。従って、「プ
ロフェッショナル」となり「活躍する人材」となるためには、
どこかで、こうした「職業的な智恵」を身につけなければな
らない。

そこに、大学の新しい役割があります。

これまでの社会においては、専門知識を手に入れるのに手間
と時間と費用がかかった。そのため、専門知識を持っている
だけで、ある程度は活躍できた。しかし、これからの知識社
会においては、専門的な知識を持っているだけでなく、豊か
な職業的な智恵を持っていなければ、活躍はできない。

言葉を換えれば、これからの社会では、働くときに要求され
る力が、一段高いレベルに上っていくのです。ただの「専門
的な知識」だけならば、大学に行かなくともEラーニングで
も学べる。では、大学は、何を教える場となっていくか。こ
れから大学は、「専門的な知識」だけでなく「職業的な智恵」
を教える場となっていく。そして、大学は、「専門的な知識」
を身につけただけの「ナレッジ・ワーカー」ではなく、「職
業的な智恵」を身につけた「プロフェッショナル」を育てて
いく場となっていく。そのことを、我々は、理解しておかな
ければならないでしょう。

では、大学において教えるべき「職業的な智恵」とは何か。
これについても、世の中に誤解がある。「職業的な智恵」と
申し上げると、それを「職業的な技術」であると誤解される
方が多いのです。すなわち、スキルやセンス、テクニックや
ノウハウといったプロフェッショナルの「技術」です。しか
し、「職業的な智恵」とは、そういった「技術」だけではあ
りません。

では、何か。

「職業的な心得」です。

すなわち、マインドやハート、スピリットやパーソナリティ
と呼ばれるものです。

本当に一流のプロフェッショナルの方は、実は、このマイン
ドやハート、スピリットやパーソナリティが素晴らしい。優
れたプロフェッショナルの「心得」を持っている。

例えば、先ほどの活躍する弁護士。この方は、何よりも「人
間性」が素晴らしい。まず、クライアントに対する共感があ
る。困っている人間への優しさ、分かりにくいことを分かり
やすく伝えようとする思いやりがある。このように「職業的
な智恵」とは、「職業的な技術」に加え、心構えや心の置き
所も含めた「職業的な心得」が伴ったものであることを、忘
れてはならないでしょう。

そして、こうした「職業的な心得」は、これからますます重
要になっていきます。その理由は、いま、ビジネスの世界で
は、「操作主義」というものが蔓延っているからです。例え
ば、いま、書店に行くと、こういったタイトルの本が数多く
並んでいる。

『顧客をファンにする』
『部下を自由に動かす』
『相手を意のままに操る』

こうした「操作主義」の価値観が、いま世の中に溢れていま
す。そして、ビジネスや仕事においてこうした「操作主義」
を心に抱くことは、大きな落とし穴となります。なぜなら、
こうした心の姿勢を持つとき、我々は、相手に対する敬意や
謙虚さを失い、無意識の傲慢さや自己中心主義に陥ってしま
うからです。そして、不思議なことに、そうした心の姿勢は、
かならず相手に見破られてしまうからです。

では、どうすれば良いのか。
どうすれば、こういった「職業的な心得」と「職業的な技術」、
すなわち「職業的な智恵」を学ぶことができるのか。どうす
れば、「言葉にならない智恵」を身につけることができるの
か。そのための方法は、二つしかありません。

一つは、「人間」から学ぶこと。
一つは、「経験」から学ぶこと。

「人間」から学ぶためには、やはり「師匠」を見つけること
です。「師匠」と巡り会い、その人物から、大切な智恵を掴
む。これは智恵を学ぶための最高の方法です。「師匠」など
と申し上げると「復古主義」と思われるかもしれませんが、
「師匠」や「私淑」といった方法は、時代を超えて変わらぬ
普遍的な智恵の修得法です。

「経験」から学ぶためには、まず「反省」という方法を身に
つけることです。「反省」とは、「後悔」とも「懺悔」とも
異なり、智恵を修得するための極めて重要な方法です。この
「反省」を徹底的に行うことによって、「経験」が「体験」
へと深まる。世の中には、経験だけは沢山あるが、そこから
智恵を掴み取り、経験を体験へと深めていない人が決して少
なくありません。一つの経験をしたとき、必ず、その経験を
振り返る。何が成功の要因であり、何が失敗の原因であった
か。そのことを過ぎ去った経験を頭の中で「追体験」しなが
ら深く考える。それが「反省」という方法です。

これからの時代の大学の役割は、こうした「職業的な智恵」
を教えること、そのことを通じて、世の中で活躍する「プロ
フェッショナル」を育てることに他なりません。それが、私
の申し上げる「プロフェッショナル・ユニバーシティ」のビ
ジョンです。

そして、現在の大学が、この「プロフェッショナル・ユニバー
シティ」へと進化していくためには、実社会で活躍するプロ
フェッショナルの方々が大学で教鞭を取ることが必要でしょ
う。また、大学で学ぶ学生が、一定期間、インターンシップ
などで実社会に出て働き、職場での体験を通じて「職業的な
智恵」を学び、「智恵の修得法」を学ぶことも重要でしょう。
いずれも、真剣勝負で仕事をするプロフェッショナルの話を
聞く、その姿を見ることです。それだけでも、大学での学び
の姿勢が、大きく変わってくるでしょう。

そして、同時に、もし大学が「プロフェッショナル・ユニバー
シティ」への進化をめざすならば、当然のことながら、大学
内に「プロフェッショナリズム」を徹底する必要があります。
かつての大学には、「教育の鬼」「研究の鬼」と言われる教
授もいましたが、近年、多くの大学では競争原理がないこと
から、教育と研究における「アマチュアリズム」が蔓延って
います。何の工夫もない講義、何の魅力もない講義をだらだ
らとやって許される。こうした状況を克服する必要があるで
しょう。

これが、大学の第一の進化、「プロフェッショナル・ユニバー
シティ」への進化です。

では、第二の進化は、何か。

「ライフワーカー・ユニバーシティ」への進化です。

これまでの大学の役割は、「キャリアパスの支援」でした。
将来、こういう職業に就きたいのであれば、こういう知識を
身につけて、こういう資格を取る必要がある。そういうアド
バイスをして、そうした知識を教え、資格を与える。それが、
これまでの時代の大学の役割でした。しかし、これからの大
学の役割は、「キャリアパスの支援」ではなく、「ライフワー
クの支援」になっていくでしょう。

その背景にある社会の変化は、高齢化社会の到来です。
しかし、この高齢化社会の問題は、決して高齢者だけの問題
ではありません。それは、若い方々に対しても大きな課題を
投げかけてくる。なぜなら、これからの時代を歩む若い方々
には、昔よりも長い職業人生が待っているからです。そのと
き、生涯を通じての「労働観」をどう身につけるか。人生に
おいて「働く」ということをどう位置づけるか。そうしたこ
とが、極めて大切になってきます。

それにもかかわらず、現在、巷に溢れている「キャリア論」
は、その労働観の根本にあるべき「報酬観」が浅くなってき
ている。キャリアパスを考えるとき、「仕事の報酬」とは何
かについての思想が、浅くなっているのです。

現在、多くの人々がキャリアパスを考えるとき、仕事の報酬
とは「給料や年収」、そして「役職や地位」であると考えて
います。キャリアマガジンなどを拝見すると、「給料の高い
職業とは何か」「早く昇進できる会社はどこか」などの情報
が溢れています。

しかし、仕事の報酬とは、こうした「目に見える報酬」だけ
ではない。仕事には、「目に見えない三つの報酬」があるこ
とを忘れてはならないでしょう。

第一は、「働き甲斐のある仕事」です。
プロフェッショナルの世界では、しばしば「仕事の報酬は、
仕事だ」と言う言葉が使われます。その仕事に働き甲斐を感
じられるということは、素晴らしい報酬なのです。このこと
をよく理解していないと、転職した時に、給料は上ったけれ
ど、仕事に働き甲斐がない、ということになってしまいます。

第二は、「職業人としての能力」です。
自分の中に眠っている能力や可能性が開かれること。それ自
身が、素晴らしい報酬に他なりません。例えば、大リーグの
イチロー選手は、262本の安打世界記録を作ったとき、イ
ンタビュアーから「次の目標は」と聞かれ、「打率四割です」
と答えず、こう答えました。「ええ、もっと野球が上手くな
りたいですね」。これは素晴らしい言葉です。さらに自分の
腕を磨きたい。そのことが、イチロー選手にとっては最高の
報酬なのでしょう。そして、彼は、こう続けました。「だけ
ど、それは、もう数字に表れる世界ではありません。自分に
しか分からない世界でしょうね」。プロフェッショナルの世
界は、こういう素晴らしい世界でもあります。

第三は、「人間としての成長」です。
これも昔から語られてきた言葉がある。「仕事を通じて、己
を磨く」。これからの時代、こうした考えが非常に大切にな
ってくるでしょう。仕事の世界では、誰もが、様々な人間関
係で苦労をする。しかし、そうした苦労を通じて、一人の人
間として成長していくことができる。それは、現役で働く時
代を終えても、生涯、決して失われることのない「最高の報
酬」です。

これからの時代には、これら三つの「目に見えない報酬」を
大切にする「労働観」と「報酬観」が重要になっていくでし
ょう。

そして、こうした高齢化社会においては、人生における「学
ぶこと」と「働くこと」の在り方が変わってきます。
これまでの時代は、高校、大学、大学院、といった形で「学
び」の時代を過ごし、その時代を終えると、いよいよ社会に
出て「働く」時代が始まったわけです。そして、多くの人々
は、実社会に出て働くようになると、その後は、ほとんど
「学ぶ」機会を持たずに人生を過ごしてきました。
しかし、これからの時代は、すべての人々が、若い頃から年
老いるまで、「学び」ながら「働き」、「働き」ながら「学
ぶ」、という形で人生を過ごしていくことになります。

例えば、近年、子供達の「ベンチャー教育」や「ビジネス教
育」が盛んになっています。子供の頃から、「働く」という
ことを教える。それは、将来の就職のための準備をさせよう
といった即物的な意味ではなく、「働く」という人間として
の根源的なテーマを教えていこうということです。
同様に、現在、学生向けの「インターンシップ教育」が盛ん
になっています。学生時代から、企業で働くということを経
験するわけです。さらに、企業においても、「コーポレート
・ユニバーシティ」を設立し、社員が学ぶ機会を提供する企
業が増えています。これも、単なる社員研修や社員教育では
ない。社員が、目先の仕事を超え、歴史や宗教、哲学や思想
を学ぶことを支援する企業が増えているのです。
そして、この一方で、大学においても、「社会人大学院」を
設置する大学が増えています。私が教授を務めている多摩大
学でも、多くの社会人が、毎週土曜日を一日使って、働きな
がら学んでいる。こうした学びのスタイルは、非常に優れた
ものです。仕事の現場から離れないまま、仕事の智恵を学ぶ。
土曜日に学んだ智恵を、月曜日の仕事で実践してみる。そう
した実践的な学習ができるからです。
さらに、いま、アメリカでは、高齢者が集まった「シニア・
コミュニティ」が大学のキャンパスの中に設置される例が増
えています。高齢者の方々には、歳を取っても学び続けたい
という欲求がある。その一方で、大学で学ぶ若い方々は、高
齢者の方々が身につけてきた職業人としての智恵、人間とし
ての智恵を学ぶことができる。大学にとっては、そうしたメ
リットもある。

このように、これからの時代は、すべての人々が「学び」な
がら「働き」、「働き」ながら「学ぶ」という時代になって
いくでしょう。
そして、そのとき、大学というものは、人々が「生き甲斐」
と「働き甲斐」を見出すための拠り所となっていく。それは、
大学という場の、極めて大切な役割になっていくでしょう。
なぜなら、現在、我が国においては構造改革が強力に進めら
れ、社会の隅々に「市場原理」と「競争原理」が浸透してい
るからです。そして、その結果、いま、世の中には寂しい言
葉が溢れているからです。

「生き残り」
「勝ち残り」
「サバイバル」

これは寂しい言葉です。
なぜ、我々は一生懸命に働くのか。この問いに対して、いま
世の中に溢れているのは、これらの言葉に象徴される、寂し
い思想です。
我々が一生懸命に働くのは、そうしなければ生き残れないか
らだ。勝ち残れないからだ。サバイバルできないからだ。
そうやって強迫観念を煽ることにより、一生懸命に働かせよ
うとする。いま、そうした風潮が世の中に溢れています。

だからこそ、こうした風潮に対して、大学は、明確な思想を
語らなければならない。深みある「労働観」を語らなければ
ならない。

我々が一生懸命に働くのは、生き残るためでも、勝ち残るた
めでも、サバイバルのためでもない。もっと素晴らしい何か
のために、我々は、一生懸命に働いている。

そのことを、大学が、世の中に対して、人々に対して、明確
に語るべきでしょう。
大学は、多くの若い人々が、実社会に出る前に「生き方」や
「働き方」を学ぶ場です。だからこそ、その場において、
「なぜ、我々は働くのか」や「我々は、いかに働くのか」と
いう問いを掲げ、深みある思想を伝えていくべきでしょう。
これからの時代、大学こそが、若い人々に「生き甲斐」や
「働き甲斐」という言葉の大切さを語るべきでしょう。そし
て、「志」や「使命感」という言葉の大切さを伝えていくべ
きでしょう。

現在の政府の構造改革路線は、やはり、進めていかなければ
ならない。しかし、この構造改革のビジョンが、多くの国民
から見て、なぜ、わくわくしないのか。その理由は、構造改
革路線が依拠する「労働観」が貧困だからです。「社会に市
場原理と競争原理を導入すれば、人々が一生懸命に働き、生
産性が上る」という「労働観」には深みがありません。こう
した「労働観」では、我々は「生き甲斐」も「働き甲斐」も
感じることはできない。もし国民に「痛みに耐えよ」と言う
ならば、その「痛み」に耐えた先には何がやってくるのか。
そのことを、明確なビジョンとして語るべきでしょう。この
先には、多くの人々が「生き甲斐」と「働き甲斐」を感じる
ことのできる社会がやってくる。そのことを語るべきでしょ
う。しかし、そのためには、いま世の中に溢れる寂しい「労
働観」を、まず変えていかなければならない。そして、その
役割は、やはり大学にある。この国の未来を切り拓いていく
若い人々が、その人生の歩み方を定める場、大学にこそ、そ
の役割があるのではないでしょうか。

だから、これからの時代、大学がめざすべきは「ライフワー
カー・ユニバーシティ」です。
大学を卒業した後、明確な「志」と「使命感」を抱き、職業
人としての道を歩む若き人々。その生涯をかけて「ライフワー
ク」と呼ぶべき素晴らしい仕事を成し遂げようと歩む人々。
そうした若き人々を育てる大学へと、二一世紀の大学は進化
していくべきでしょう。

二一世紀の大学は、単なる「キャリアパス」を定めるための
大学ではなく、生涯かけて取り組む「ライフワーク」を見出
すための大学に進化していく。それが、「ライフワーカー・
ユニバーシティ」のビジョンです。

しかし、この「ライフワーク」という言葉。
日本には、さらに素晴らしい言葉が、ある。

「天職」

良い言葉ですね。
いま、世の中で、「ニート」や「フリーター」という言葉が
嘆きとともに語られる時代。しかし、そうした時代だからこ
そ、大学は、この「天職」という言葉の素晴らしさを、若い
学生の方々に伝えるべきでしょう。この言葉は、素晴らしい
言葉。一人の職業人として道を求めて人生を歩むとき、いつ
か「ああ、これが私の天職だった」と深い感慨とともに思え
る一瞬が、来る。それは、素晴らしい一瞬。いつの日か、そ
の素晴らしい一瞬を迎えることができるよう、大学は、若い
学生の方々に、この「天職」を求めて歩む生き方を伝えてい
くべきでしょう。

そして、この「ライフワーク」や「天職」という言葉を裏返
してみると、そこには二つの言葉が刻まれている。

「志」
「使命感」

「ライフワーク」や「天職」という言葉の裏には、この二つ
の言葉が、必ず刻まれている。

では、我々は、なぜ、「志」と「使命感」を抱いて歩むのか。
その理由は、明らかです。

我々は、この世界で最も恵まれた境遇に生まれた人間だからです。

なぜ、そう申し上げるか。
いま、この地球上に生きる60数億人の人々の中で、この五
つの条件に恵まれた国に生きる人は、どれほどいるでしょう
か。

60年以上戦争がない平和な国。
世界第二位の経済力を誇る国。
最先端の科学技術が発達した国。
高齢化社会が問題になるほど健康で長寿の国。
多くの国民が高等教育を受けることのできる国。

こうした五つの条件を考えただけでも、日本という国に生ま
れたということは、世界で最も恵まれた境遇に生まれたとい
うこと。そして、そのことを理解するならば、我々は自覚す
るべきでしょう。その恵まれた境遇に生まれた人間には、
「ノブリス・オブリージュ」と呼ぶべき「義務」がある。そ
のことを自覚するべきでしょう。
すなわち、この日本という国において大学で学ぶということ
を、単に自分の「キャリアパス」が有利になるという次元で
捉えるべきではない。大学で学んだことを生かし、日本や世
界の恵まれない人々のために、何か素晴らしい仕事を成し遂
げなければならない。そうした「志」や「使命感」こそが、
求められるのでしょう。そして、そうした「志」や「使命感」
に支えられた仕事こそが、「ライフワーク」と呼ばれるもの
なのでしょう。

いま、インターネットの「リッチリスト」というサイトにア
クセスすると、「あなたの年収が、現在の全人類の中で上か
ら何パーセントに入るか」を教えてくれます。このサイトに
よれば、年収300万円の人は、いま、人類の中で上から3
%の豊かな人々であることを教えてくれます。この現実を、
我々日本に生まれた人間は、知っておく必要があるでしょう。

以前、私は参議院に参考人として呼ばれました。その時、2
0名を越える議員の先生方の一人から質問が出ました。
「この国がもっと豊かになるためには、どうしたらいいので
しょうか?」
この質問に対して、私は、先ほどの「五つの条件」を示し、
こう申し上げました。
「先生方は、この国がどこまで豊かになれば、豊かだとおも
われるのですか?」
「もし、この国に貧しさがあるとすれば、自分たちの豊さに
気がつかない、そのことこそが、この国の貧しさではないで
しょうか」

もちろん、この日本という国においても、貧困はあり、悲惨
な境遇の方々もいらっしゃいます。そうした方々に、どのよ
うな手を差し伸べられるのか。そのことも真剣に考えていく
べきでしょう。しかし、やはり我々は、世界全体の現状、そ
の現実から目を背けて、この国の繁栄だけを語るべきではな
いでしょう。

そうであるならば、これからの時代の大学は、大学に学ぶ人
々の「キャリアパス」を支援するという狭い視野から脱し、
大学に学ぶ人々の「ライフワーク」を支援するという広い視
野を持つべきでしょう。

ただ、ここで述べる「ライフワーク」とは、決して「大事業」
や「偉業」である必要はありません。なぜなら、日本という
国には、もう一つの素晴らしい言葉があるからです。

「一隅を照らす。これ国の宝なり」

最澄の言葉ですが、我々の「ライフワーク」は、どれだけさ
さやかなものであってもいい。
その仕事の奥に深い「志」と「使命感」があるならば、そし
て、その仕事を「天職」と思い定めた深い「覚悟」があるな
らば、それは素晴らしい「ライフワーク」でしょう。

そして、この「ライフワーカー・ユニバーシティ」とは、決
して若い学生だけが集まる場ではない。様々な年齢、様々な
役職、様々な階層の人々が集まり、共に学ぶ大学へと向かっ
ていくべきでしょう。そもそも、現在の教育のスタイルであ
る、同じ年齢の生徒や学生が、同じ教室に集まり、同じカリ
キュラムで一斉に学んでいくというスタイルは、決して、長
い歴史を持ったものではない。日本においては、古くは「寺
子屋」という学びのスタイルがあった。ここでは、色々な年
齢、職業、階層の人々が一つの寺子屋に集まり、それぞれの
能力や興味に応じて自由に学んでいた。
これからの大学は、そうした場となっていくでしょう。
例えば、歴史学の講義を受けていると、隣では自分の父親く
らいの人が聞いていたり、これから経営やマネジメントを学
ぼうとしている若者の横で、経営者として一つの時代を築い
た人が、自分の経営を見つめ直し、もう一度学ぼうとしてい
たりする。そういう状況こそが、これからの時代の大学の新
しい姿ではないでしょうか。

そして、大学という場は、若き日にそこを卒業し、人生経験
を積み、歳を重ねてまた、そこに戻り、人間としての原点を
みつめる場になっていくのではないか。

同時に、これからの時代の大学は、「学び」ということの形
も変わっていくでしょう。これまでの大学における「学び」
は、教授陣が「教育」をするという形で行われてきた。しか
し、これからの大学における「学び」は、学生同士の「学び
あい」に向かっていくでしょう。

様々な年齢、職業、階層の学生が、議論をしながら互いに学
びあう。そうした大学が生まれてくるでしょう。それは、学
生のコミュニティの中で深い学びや学びあいが起こる大学。
すなわち、「コミュニティ・ユニバーシティ」とでも呼ぶべ
き新しいスタイルの大学となっていくでしょう。

これが、大学の第二の進化、「ライフワーカー・ユニバーシ
ティ」への進化です。

では、第三の進化は、何か。

「イノベーターズ・ユニバーシティ」への進化です。

これは、いかなる大学か?
これまでの大学の役割は、ある意味で「リサーチャー(研究
者)の育成」でした。しかし、これからの大学は、同時に、
「イノベーター(変革者)の育成」という役割を、堂々と掲
げるべきでしょう。

なぜなら、これから「変革の時代」が始まるからです。
いま、我が国を挙げて構造改革の時代。世の中には「改革」
や「変革」という言葉が溢れています。しかし、そこに大き
な問題がある。

いったい、この国の「改革」と「変革」を進めていくのは誰か。

その問題です。
現在の我が国の構造改革は、「劇場型政治」や「観客型民主
主義」という言葉に象徴されるように、国民一人ひとりが本
当の意味での「変革の主体」になっていない。しかし、もし
我々が、本当に我が国の改革と変革を成し遂げたいのであれ
ば、その「変革の主体」は、政治家でも、官僚でもない。草
の根の人々の中から、数多くの「変革の主体」が生まれてこ
なければならない。

そして、その「変革の主体」、すなわち「イノベーター」
(変革者)を育てることは、やはり、これからの時代の大学
の大切な役割になっていくでしょう。

この国を、誰が、どのように変革していくのか。その変革者
を、誰が、どのように育てていくのか。そのことが、いま、
我が国の構造改革論において見逃されている、最も大切なテー
マです。大学は、まさにそのテーマをこそ見つめるべきでし
ょう。

かつて、1960年代の終わりから70年代の初めにかけて、
大学というものが、この国の変革の拠点になっていこうとし
た時代があった。その試みは、残念ながら、その方法論の未
熟さゆえに挫折を余儀なくされましたが、我々は、大学が
「社会変革の拠点」になっていくというビジョンとロマンを
捨て去るべきではないでしょう。

だから、この場で、「イノベーターズ・ユニバーシティ」の
ビジョンを提案させていただきたい。これまでの時代、大学
は、「リサーチャー」の育成を通じて、「知の変革者」を育
ててきた。しかし、これからの時代、大学は、「知の変革者」
だけでなく、「イノベーター」の育成を通じて、「世の変革
者」を育てていかなければならない。
それは、新たな意味での「知行合一」の時代の幕開け。

二一世紀、大学は、新しい「知識」や「智恵」が生まれてく
るセンターであるだけでなく、この社会を変革するための
「行動」や「運動」が生まれてくるセンターとなっていくで
しょう。いま、大学の未来が混迷の中にあると思われている
時代。
だからこそ、あえて、二一世紀の大学がめざすべき、そのビ
ジョンとロマンを申し上げたい。

そして、それは、単なる「絵空事」としてのロマンではない。
米国においては、大学がそうした「変革のセンター」となる
動きが生まれてきている。
例えば、シリコンバレーとスタンフォード大学。シリコンバ
レーでは、技術や産業のイノベーションが次々と起こってい
る。それが「ビジネス・イノベーション」と言われる動きで
す。その背景には、シリコンバレーに豊かに形成された「ビ
ジネス生態系」がある。優れた事業計画を抱いた数多くのア
ントレプレナー(起業家)。その起業家を支援するベンチャー
・キャピタルやエンジェル。起業家に智恵を提供するビジネ
ス・コンサルタント。また、安いコストで使えるレンタルオ
フィスやラボ。こうした「ビジネス生態系」の存在こそが、
シリコンバレーにおいて数多くの「ビジネス・イノベーショ
ン」が起こる理由です。
そして、このシリコンバレーで、いま新たに生まれつつある
のが「ソーシャル・イノベーション」の動き。スタンフォー
ド大学には、「ソーシャル・イノベーション・センター」と
いう組織が設立され、環境、教育、福祉、平和など、様々な
社会変革の事業に取り組む「ソーシャル・エンタープライズ」
(社会的事業)や「ソーシャル・アントレプレナー」(社会
起業家)の支援に取り組んでいます。そして、シリコンバレー
には、起業家だけでなく、数多くの社会起業家が生まれてい
ます。

こうした海外の動きを、我が国の大学も学ぶべきでしょう。
例えば、スタンフォード大学では、「優秀な学生は、起業家
をめざす」と言われます。そうであるならば、日本の大学に
おいては、「志ある学生は、社会起業家をめざす」という時
代を切り拓くことも一つのビジョンでしょう。

では、どうすれば、我が国の大学は、ビジネスと社会にイノ
ベーションをもたらす起業家や社会起業家を育成し、支援し
ていくことができるのでしょうか。

そのためには、大学は、シリコンバレーのように「ビジネス
生態系」を生み出さなければなりません。しかし、日本にお
いては、特定の地域に、短期間に「ビジネス生態系」を生み
出すことは容易ではない。従って、日本においては、日本型
の「ビジネス生態系」を生み出す戦略が必要です。

その戦略の一つが、私自身が、これまでの十数年間に取り組
んできた「コンソーシアム」(異業種連合)の戦略です。異
業種企業が集まり、それぞれが持つ起業人材、起業資金、起
業計画、起業知識、起業施設など、様々な経営資源を持ち寄
り、一挙に、「ビジネス生態系」を形成する。それが、日本
独自の戦略となっていくでしょう。

また、起業家や社会起業家を育成、支援するためには、この
「ビジネス生態系」に加えて、大学は、その周辺に、知識資
本主義時代の「ソーシャル・キャピタル」(社会資本)を形
成しなければなりません。

「ソーシャル・キャピタル」とは、具体的には、次の五つの
キャピタルです。

「ナレッジ・キャピタル」(知識資本)
「リレーション・キャピタル」(関係資本)
「トラスト・キャピタル」(信頼資本)
「ブランド・キャピタル」(評判資本)
「カルチャー・キャピタル」(文化資本)

「ナレッジ・キャピタル」とは、起業家や社会起業家に対し
て、大学が様々な知識や智恵を提供することであり、「リレー
ション・キャピタル」とは、彼らに、大学を中心とする人材
と組織のネットワークを提供することです。また、「トラス
ト・キャピタル」とは、その起業家や社会起業家が「社会的
信頼」(トラスト)を得られるように大学が支援することで
あり、「ブランド・キャピタル」とは、彼らが、社会的な注
目を集め、高い評価と評判を得られるように支援することで
す。さらに、「カルチャー・キャピタル」とは、起業家や社
会起業家を応援しようとする地域や社会に存在する空気や雰
囲気、文化のことです。このうち、特に「ブランド・キャピ
タル」は重要です。いま、経済やビジネスの世界は、「アテ
ンション・エコノミー」(注目の経済)の時代と言われてい
ます。世の中から注目を集めることによって、新しいビジネ
スが生まれ、急速に成長していく。こうした時代に、メディ
アを活用することは、起業家や社会起業家を育成、支援する
ための極めて重要な戦略となっていきます。

すなわち、これからの時代の大学は、その周辺に「ビジネス
生態系」を生み出し、「ソーシャル・キャピタル」を形成し
ていくことによって、起業家や社会起業家という「イノベー
ター」を育成・支援し、ビジネスや社会の「イノベーション」
を進めていくことができるのです。

そして、もう一つ大切なことを申し上げます。

これからの時代、この起業家と社会起業家は、一つになって
いきます。

これまで、「起業家」とは、株式公開で巨額の利益を得るな
ど、「営利追求」を目的として新たな事業を起こす人材であ
ると考えられてきました。これに対して、「社会起業家」は、
「営利追求」を目的とせず、「社会貢献」を目的として新た
な事業を起こす人材と考えられてきました。

しかし、我が国において、この「社会起業家」については、
「日本型」の定義を考えなければならないでしょう。なぜな
ら、そももそ、我が国においては「事業」というものは、
「営利追求」と「社会貢献」に分かれるものではないからで
す。例えば、我が国において、「働く」という言葉は、「傍」
(はた)を「楽」(らく)にする、という意味に解されてい
ます。我々が一生懸命に働くのは、周りの人々を楽にするた
め、世の中の人々を幸せにするため。この「働く」という言
葉には、そうした日本独自の思想が宿っていることを忘れる
べきではないでしょう。
また、日本型経営の象徴とも言うべき松下幸之助氏は、次の
言葉を残しています。

「企業は、本業を通じて社会に貢献する。」
「利益とは、社会に貢献したことの証である。」

そして、松下幸之助氏は、さらに深みある、次の思想をも語
っています。

「多くの利益が与えられたということは、その利益を使って、
さらなる社会貢献をせよとの、世の声である。」

このように、日本社会の文化、日本型経営の思想においては、
「営利追求」と「社会貢献」は、決して対立するものではな
く、本来、一つのものでした。

そして、実は、これは日本だけの思想ではありません。
現在の世界の資本主義の潮流を見ていると、いま、この「営
利追求」と「社会貢献」が、まさに一つのものとして収斂し
つつある。

一つは、世界的な「CSR」の潮流。「企業の社会的責任」
ということが厳しく問われ、さらには、すべての企業にとっ
て「営利追求」だけでなく「社会貢献」ということが深く問
われる時代が始まっています。もう一つは、「社会起業家」
の潮流。外部からの補助金や寄付金に依存して「社会貢献」
の活動をしていく社会活動家ではなく、自らの事業を通じて
「利益」を生み出し、その「利益」を用いて、「社会貢献」
の活動を継続していく社会起業家が、これからの時代の大き
な流れとなっていきます。

このように、これまで営利企業と呼ばれてきたものが社会貢
献を重視するようになり、これまで社会貢献をめざしてきた
非営利組織が事業収益を重視するようになっていく。これは、
まさに、ヘーゲルの弁証法の「相互浸透」とでも呼ぶべき大
きな流れが生まれている。そのことを、我々は、深く理解し
ておくべきでしょう。

そして、これは、我が国の文化においては、ごく自然なこと。
我々日本人にとっては、「働く」ということは、常に、「世
のため、人のため」に他ならない。我々が一生懸命に働くの
は、世の中の人々の幸せのため。どのような職業も、仕事も、
深く見つめれば、そうした世のため、人々のためという思い
が込められている。

そうであるならば、我々、働く人間は、すべて「社会起業家」。
我々が、少しだけ、日々の仕事の意味や社会との関わりを考
え、働くということについての心の在り方を変えるだけで、
誰もが、いますぐに「社会起業家」としての歩みを始めるこ
とができるのでしょう。

そのために求められるのは、ただ一つの願い。

この世の中を、この社会を、少しでも良きものに変えよう。
自分の日々の仕事を通じて、良きものに変えよう。

その願いではないでしょうか。

この国においては、民間企業で働くことは、決して「営利追求」
のためではない。民間企業に働きながら、その仕事を通じて
「社会貢献」をめざしている人々は、数多くいる。この国に
おいては、社会貢献をするために、会社を辞めてNPOで働
かなければならないわけではない。「民間企業で働くことは、
営利追求のために働くことだ」という誤解が、どれほど多く
の人々に無力感を与え、働き甲斐を奪っているか。我々は、
その誤解に気がつかなければならない。我々は、どのような
職場で働こうとも、どのような仕事に就こうとも、その職場
で、その仕事で、この世の中のために貢献していける。それ
が、この国が長い年月をかけて築いてきた「働き甲斐」の文
化ではなかったか。そして、「CSR」や「社会起業家」が
注目されるこれからの時代、その文化が、ますます大きく花
開いていく。それは、日本という国が大切にしてきた「労働
観」や「報酬観」、そして「生き甲斐」や「働き甲斐」の文
化に、世界が注目する時代。

そうした素晴らしい時代が、いま、始まろうとしている。

そして、その素晴らしい時代、大学は大きく変わる。

この国を、この社会を、その職場で、その仕事を通じて変革
していく無数のイノベーター。そのイノベーターを育て、支
援していくのは、大学の役割となっていく。

それが、「イノベーターズ・ユニバーシティ」のビジョン。

大学から、志と使命感を抱いた数多くのイノベーターが生ま
れてくる時代。

そうした時代を、我々は、思いを込めて切り拓いていくべき
でしょう。


今日この場に集まられた方々。

大学の現場で、日々、困難な課題に取り組まれ、矛盾に満ち
た現実と格闘されている方々。その困難と矛盾の中で、大学
を、そして、この社会を、少しでも良きものに変えていこう
と悪戦苦闘されている方々。

その方々に、深い敬意を表し、この話の締めくくりとさせて
いただきます。

有り難うございました。