「ETIC.30周年ギャザリング」全体セッション『ともに「あたらしい社会」をつくるータグラインに込めた思いと次の一歩』レポート

 

1993年、学生団体として始まったETIC.(エティック)は、30年で150名のスタッフが働く組織となりました。これまで様々な形で関わってくださった皆さんのおかげです。本当にありがとうございます。

この度、年末のご挨拶にかえて、皆さんと一緒に31年目を踏み出したいという思いから企画された「ETIC.30周年ギャザリング」での全体セッション『ともに「あたらしい社会」をつくるータグラインに込めた思いと次の一歩』の一部をレポートでお届けいたします。

ティール組織への改革と、新しいタグラインの誕生

2021年、ETIC.(エティック)は組織・経営体制を変更して、ピラミッド型の組織構造からティール組織と呼ばれる自律分散的な組織体制へと舵を切りました。その際、創業者である宮城治男(みやぎ・はるお)が退任し、その後トップを置かないことを決めました。

セッションの最初では、そうした改革がなされた背景について、スタッフ・番野智行(ばんの・ともゆき)から以下のように皆さまにご報告させていただきました。

番野:これまでのエティックは、「起業家精神を育てる」といいながら組織構造がピラミッド型だったため、スタッフ自身が起業家精神を発揮することが難しいというジレンマを抱えてきました。それをなんとかしたいと議論を重ねるなか、エティックはこれまで「どうしたら起業家精神を持った人が増えるのか」ということを考え続けてきましたが、実は全員が起業家精神を持っていて、本来考えるべきことは「それが発揮されやすいような組織はどうやって作っていけるのか?」なのではないかと思うようになっていきました。

その過程で「ティール組織」に出会い、「これが私たちが作りたい組織かもしれない」と組織改革に踏み切りました。結果、事業・組織面の両方で一人ひとりがのびのびと自分のやりたいことをテーマにして挑戦する組織になったと思っています。

例えば一般企業の経営会議にかけたら「それは本当にインパクトが出るの?」「採算が難しいんじゃないか」など実現に壁がありそうなプランでも、「やってみたい!」とスタッフが言ったら、もちろん慎重に検討したうえでですが「やってみておかしかったら変えればいい」と、挑戦することが普通になっていきました。大きな案件も現場ですぐ決められるといったことも、実際に起こっています。

一方で課題としては、「集団であるという強みが弱くなったのではないか」ということでした。遠心力がききすぎて、各自が自由に始めてしまうので、違うチームが何をやっているのかよく分からないという状況になっていきました。

そこでこの1年間、「いろいろ挑戦できるエティックになったけれども、私たちはなぜ集っているのか?」ということをもう一度ちゃんと考え、話し、握り直そうと、社会起業塾でお世話になってきたブランディング・ディレクターの友原琢也さんに伴走いただき、20回以上もの議論を重ねて、タグライン『Move Forward. 行動を起こす人に伴走し、つなぎ、ともに「あたらしい社会」をつくる。』が生まれました。

「とにかくエティックはカタカナが多いし、何をやってるかわかりづらい」「会うとおもしろいんだけど、何やってるかはよくわからない」。そんなご指摘を長らくいただいてまいりましたが、そこを何とか解消していくこと、スタッフ自身も起業家精神を持ってやっていこうという決意を新たにした30周年となりました。

この10年間で気づかされた、挑戦と応援の間にある連鎖

続いて、ローカルイノベーション事業部を牽引してきた山内幸治(やまうち・こうじ)からも、この10年間で生まれたエティックの学びと変化について以下のようにお伝えしました。

山内:20周年のとき、エティックはこれまで、例えば1990年代であればインターネットビジネス、社会起業家、2011年からは東日本大震災の復興支援であったりと、時代の要請を受けるようなかたちでイノベーションや挑戦が求められる現場と若い人たちをつなげてきましたが、この先の10年ではその“挑戦の型”を変えていきたいということをお話をさせていただいたかと思います。

その背景として、東北の被災地で、本当に強い想いで自分の生まれ育った地域のために挑戦をしたいんだという声をたくさん聞かせていただいたのに、資金、体制のリソースなどの限界によって応えきれない、投資できないと決断しなければいけなかったという苦しい体験がありました。さまざまな挑戦が日本で溢れるとき、それらを支える仕組みが日本中でどれだけ増えているかということが大切だということを痛感し、次の10年はその仕組みづくりに挑んでいきたいと思ったのです。

そうしてこの10年間、起業家に限らず多種多様な企業の方々、行政の方々と一緒に仕組みを作ったり、挑戦し続けてきましたが、その中で学ばせていただいたことは、「私たちは挑戦したい人がいるから応援しようとするけれども、実はそうではないのではないか。応援されるという安心感があるからこそ、人は挑めるのではないか」ということでした。

例えば企業のなかで新規事業に手を挙げて挑戦しようとすると、「それはうちの会社にとってどんな意義があるのか?」といった評価の嵐に晒されている企業の方が本当に多いことを知り、大切なことは評価ではなく、まずは応援することから受け止めていくことなのではないかと考えるようになっていきました。

また、もう一つ、支え方にもそれぞれの強い意志があることを学ばせていただきました。例えば社会起業塾などのプログラムアルムナイの方々と一緒に次の起業家を育てていくチャレンジをさせていただいたのですが、NPO法人カタリバであれば「子どもたちへの支援をユースセンター起業塾というかたちで応援したい」という強い意志がありました。さらに、自治体であれば「地域課題を解決する挑戦を応援していきたい」という意志があり、起業家精神の支え方にも起業家精神があって、その熱量があるから新しい挑戦が生まれ、応援していくようなインフラが日本中に広がっていくのだなということを感じるようになっていきました。

そこからエティックも、私自身を含めスタッフ一人ひとりが意志をもって、自らが大事にしたい領域や地域のなかで挑戦を支えていく仕組みを作っていくのだという方向に導かれていった結果が、「ティール組織」への組織改革だったと思います。

意志を持って一人ひとりが挑戦をし、その周りにエコシステムが広がっていく。そういったことが分散的に広がっていく社会であってほしいと思っていますし、そうしたなかでもどこかでゆるく連帯しているあり方を、まるで毛細血管のように日本中に張り巡らせていきたいと思っています。

「TSG」「LVL」「みてね基金」「Beyonders」「エティックインターナショナル」ーースタッフの挑戦の現在

続いてスタッフ5名が登壇し、エティックでの挑戦について会場の皆さまへご紹介させていただきました。

佐々木健介:「TOKYO STARTUP GATEWAY」という、東京都と連携しているスタートアップコンテストを運営しています。これまで例年1000人ほどのエントリーだったのですが、今年は東京都だけではなく全国からの募集となり、3000人もの方々にエントリーいただきました。

私自身のミッションは起業家精神の裾野拡大です。若い人たちにとって起業は「いいな!」と思われる文化になってきた一方、偶然エティックにつながったり、ご家族や学校での応援がなければ、まだまだ挑戦しにくいものです。本当に起業家的なチャレンジが当たり前になるためには、これから30年、もっとアップグレードしなくてはと思っていますので、改めて皆さんとつながり直し、もっともっと新しい挑戦の応援をしていきたいと思ってます。

伊藤いずみ:「ローカルベンチャーラボ」という、地域に特化した起業家・事業構想支援プログラムを運営しています。地域というと、まだまだ都市側が貢献しなくてはといったイメージで語られがちですが、各地を訪ねると本当に豊かな資源が多く、限られたリソースだからこそ生まれてくるユニークで面白い挑戦がたくさんあります。

そうした中から生まれてくる未来の種が日本中に広がることが、日本をおもしろくし、社会に新しい可能性、経済のかたち、地域発だからこその持続性を生むのだろうと思っています。まだまだリソースが集まりづらく、事業が育つ力学が働きにくい領域ですが、だからこそリソースを集める役割を担いながら事業を応援し、集まる人たちと一緒にローカルから世界を抜本的に変えていくような未来をつくっていきたいと思っています。

本木裕子:「すべての子ども、その家族が幸せに暮らせる世界を目指して」をミッションにした「みてね基金」の運営協力をしています。ETIC.に関わるようになったのは9年前で、第一子を育むなかで仕事も辞め、「これから何をしよう?」と思っていた時期に「人を応援する仕事をしたい」と思い、当時事務局長だった鈴木に相談したことがきっかけでした。

振り返れば最初から子どもに関わる事業がしたいといった目的があったわけではなく、いろんなことに挑戦させていただくなかで子ども分野にたどり着いたような9年間で、特に転機となったのは、休眠預金事業で子ども領域のNPOへの助成に携わらせていただいたことでした。子育ても頼れる人がいれば豊かだなと思っていますし、手を差し伸べあえる、助け合う子育ての循環が生まれることを目指していきたいと思っています。

腰塚志乃:「働き方、関わり方の多様化で、個人も組織ももっとパワフルに」をテーマにしています。私自身、働く中ですごく考えてきたことは大きく2つあり、「どうやったらもっとクリエイティブに、イノベーティブに価値を生み出せるだろう」ということと、「ベンチャー企業、大企業と働かせてもらう中で、個々人はみんなもれなく素敵なのに、なんで組織に入ると力が発揮されきれないのだろう」ということです。

3年前、自ら手を挙げて「DRIVEキャリア」事業に携わらせていただくことになりました。特に転職は大切なキャリアを決める転機なので、たった3回の面接で評価されるのではなく実際にライトに関わる中で自由に関係性が築けるようにしたいと、去年「Beyonders」という3ヶ月間プロジェクト参画という形で様々な団体に関わることができるプログラムをローンチしました。

ここからさらに、いろんな人がちょっとずついろんなところに関わりながら、自分が一番活躍したい場所を見つけられるようなプラットフォームをつくっていきたいと思っています。

山崎光彦:海外の事業家や企業、財団とのパートナーシップを推進する、エティックインターナショナルチームを推進しています。30周年を契機に立ち上げた、エティックで一番新しくて小さなチームです。

ちょうど数日前に、ある方からマイノリティ市民の声を社会に届けるコンサルタントとしてイギリスのソーシャルセクターでキャリアをつくっていきたいというご相談をいただき、今年からエティックが連携を始めたイギリスで社会起業家支援をしているHatch Enterprise(ハッチ・エンタープライズ)をご紹介しました。

このように、例えば語学力がなかったり、海外就労の経験がなくても、海外で起業したい、転職したい、何かに挑戦したいという思いのある方がいらっしゃったとき、まず相談していただけるような存在でありたいと思っています。

エティックは、「麹菌」「ミツバチ」のようなものかもしれない


(30周年に合わせて、新しいタグラインを表現したイラストも作成しました)

最後に、会場に駆けつけていた創業者・宮城治男(みやぎ・はるお)にも登壇してもらい、エティックの未来へ声を寄せていただきました。

宮城:エティックにとって一番ふさわしい組織のあり方を探求していった結果、自分自身が退かないと完成しないなと思いついてしまい、退任を決めました。ですので、何も考えてなかったんです。疲れたとか、何かやりたかったというわけではなかったので、突然訪れた自由の時間でした。

せっかく自由をもらったので、今まで世の中で前提とされてきた枠組みたいなものを全部外して、時間軸や空間軸を最大に広げて世界を見てみたいと思って過ごしてきました。そうして最近やっと、エティックという存在を客観視できるようになってきたんです。

まず、エティックは、海外なども含め既に世の中にあったモデルから生まれたものではありません。自分の中では、日本の土の中から立ち現れてきた印象があって、自分でつくった感覚もないんです。必要されることに耳を澄ましていたら、いつの間にかできたという印象があり、すごくわかりにくい組織です。

今の世の中が前提としているお金とか、権威みたいなものとは違う原理でできていて、例えるならば発酵を支える麹菌とか、ミツバチとか、儚いですけど何だかいないと困るかもしれない、そういう存在なのかもしれないと思うようになりました。

エゴを外して、全体の調和や進化を狙って動いていくあり方というのは、日本的な在り方でもあるなと感じています。このわかりにくさみたいなものの先に、新しいタグラインに表されている未来があるように感じています。

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30周年ギャザリングを経て、改めてエティックを支えてくださる関係者の皆さんへの感謝の気持ちとともに、皆さんとあたらしい社会をつくっていきたいという想いを新たにいたしました。31年目、そして2024年もどうぞよろしくお願いいたします。