1993年に学生団体として始まったNPO法人ETIC.(以下、エティック)は、2023年で30周年を迎えました。この連載では、皆さんと一緒に31年目を踏み出したいと、これまでのエティックを振り返るイベントとして開催された「30周年記念ダイアログ 創造と創発の30年と、未来へのギフト」のエッセンスをお届けしていきます。
今回のテーマは、「地域とのパートナーシップの広がりと、エコシステムを育むコーディネート(中間支援)組織の役割と可能性」です。
1993年の設立以来、東京や関西の大都市圏を中心に、長期実践型インターンシップや社会起業家の支援を進めてきたエティックは、2004年の「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト」事業(経済産業省委託事業)をきっかけに、地域に活動を広げていきました。
その際、地域に根ざしたコーディネート(中間支援)組織との協働という選択肢を取ったことで、各地固有の状況を踏まえた優れた取り組みが数多く生まれ、エティックが自分たちのやり方を自分たちで広げるのではなく、地域のコーディネート組織とパートナーシップを組んでいくという戦略に大きく舵を切るきっかけとなりました。
今回のダイアログでは、「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト」をはじめとした地域との共創事業をリードしてきたメンバー5名で、この20年間の歩みを振り返ります。
※記事の内容は2023年12月5日時点のものです。
都市部だけでなく、全国各地にアントレプレナーシップを広げる仕組みをつくる「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト」
長谷川:本日はどうぞよろしくお願いします。私はエティックに2007年からいまして、あっという間にここまで来ましたが、一貫してこのローカルイノベーション事業部で様々なプロジェクトの立ち上げや運営をしています。
さて、私たちが「地域」というテーマで仕事をスタートしたのは2002年になります。まずは2010年までの区切りで、約8年間を振り返っていければと思います。この期間について、瀬沼さん、お話いただいていいでしょうか?
瀬沼:はい。よろしくお願いします。私はこれからお話しする「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト」に2008年から関わり始めて、エティックには2011年からインターン生として参画させていただいて、そのままスタッフになりました。大学に入学したのが2008年なので、2002年当時は小、中学生だったのですが、皆々様からエピソードを聞いてまいりましたので、ご紹介させていただきます。
エティックは当初、長期実践型インターンシップ事業を中心に東京で活動をしていた団体でした。その中で、地方から大学を休学して東京のベンチャー企業でインターンシップをする学生が生まれてきたのですが、「地域」を舞台にするようになった最初のきっかけは、2002年に山形大学を休学して東京の会社でインターンをしていた学生が山形に戻り、「山形でエティックみたいなことをやりたい」と相談されたことだったと聞いています。
そこから地域への展開ができないかエティックの事業計画合宿で検討し始めたそうなのですが、実は2002年は1995年から始まったエティックの関西支部が撤退したタイミングで。「アントレプレナーシップを育む」ことをミッションに掲げているのに、支部という形で本部から投資が続けられている状況は違うのではないかと、支部という形を終えることに決めたそうです。
そんな中、経済産業省が日本に起業文化を確立するということをビジョンに掲げた「DREAM GATEプロジェクト」をスタート。当時、プロジェクトを担当されていた経済産業省のキーパーソンの方が、エティック創業者の宮城に連絡をくださって、宮城が「長期実践型インターンシッププログラムの地域版のようなことをできないか」と相談してみたところ「それはすごくおもしろい!」という話になり、都市部だけでなく、全国各地に起業文化を広げる仕組みをつくるというビジョンで2004年に経済産業省の助成事業としてスタートしたのが、「チャレンジ・コミュニティ創生プロジェクト」です。
瀬沼:創業者の宮城は、ITバブルがあった90年代後半から2000年前後に、ネット関連のベンチャー企業が多く集まる渋谷で生まれた、ベンチャー企業の経営者などのネットワーク会議を運営する非営利組織「ビットバレー・アソシエーション(BVA)」で事務局長をやっていた時期があったそうです。
そこでの体験から、渋谷だけでなく全国各地で、さらに形式も様々に、自律的に各地域に合ったかたちで、各地域の人たち自らが担い手となっていく方向性で広げないと意味がないのではないかと感じていたと聞いています。
2003年には、志をともにして協働できる団体があるのかどうか全国を対象に事前調査がなされ、結果100団体ぐらいがリストアップされたそうです。エティックもヒアリングに同行しながら、まずは札幌・山形・岐阜・京都・大阪の5地域からスタートすることになりました。
「目指すは史上最年少IPO達成」の価値観に対して生まれた、『好きなまちで仕事を創る』
長谷川:「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト」がスタートして5年後、2009年に『好きなまちで仕事を創る: Address the smile』という本がエティック編集で出版されました。編集を担当していた広石さん、当時を振り返っていかがですか?
広石:株式会社エンパブリック代表の広石です。今日はどうぞよろしくお願いします。僕は2001年ごろエティックに関わり始めて、最初は「STYLE(スタイル)」という社会起業家のビジネスプランコンテストでご一緒していました。2008年にエンパブリックを起業したのですが、その後もいろんな形で関わらせていただいています。
当時はITベンチャーが増えてきた時期で、IPO(新規上場)がいかに早くできるか、特に「史上最年少IPO達成」が最高に誇らしくて、それが起業家としての成功みたいな時代でした。地方でも、仕事がないから東京に行くんだと皆が言うような時代で。本書のタイトルは、そういった時代の価値観に対して、「東京に行くんじゃなくて、好きなまちで仕事を創っちゃえばいい」ということを伝えたいと名付けました。
「起業家精神は、IPOに代表されるような経済的成長だけが指針じゃないんじゃないの?」というメッセージから生まれたのが「社会起業家」という言葉、そして「ローカル」だったのだろうと思っています。そして、長期実践型インターンシップも、その全国展開版であるチャレコミも、「何のためにしてきたの?」と問われたら、起業家精神を広げたかったからなんですよね。そのために、起業家のそばにいることが非常にいいんじゃないかと思ったからなんです。
もう一つの側面としては、エティックとして一番具体的に持っていたノウハウが長期実践型インターンシップだったというのは多分あると思います。社会起業塾も挑戦を始めていたんだけれど、まだそこまで仕組みにできてなかったんですよね。
長谷川:本当にそうですよね。実は、この2004年〜2006年の間で予算をかけて重点的につくっていたのが、インターンシップマニュアルでした。私は当時札幌にいて、そのマニュアルからどういうふうに学生と面談するのかなど学びながら、札幌でインターンシップの推進に取り組んでいたりしました。
金の切れ目が縁の切れ目にならないためにした、3つのこと
由利:ここからは私がお伝えします。エティックには2004年から参画しており、それまでは10年ぐらいメガバンクで銀行員をしていました。本日のテーマである地域とのパートナーシップを始めるタイミングでジョインしたかたちになります。
さて、2004年〜2006年までの「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト」では、経産省からの助成金をエティックが一括して受け取り、それを各地の団体に分配するというお金のつながりが各団体とあったんですけれども、助成終了後もこのネットワークをどうすれば維持できるのかは大変頭を悩ませまして、以下の3つをすることにしました。
1つ目は、その年の最も挑戦心に溢れた実践型プロジェクトの事例を表彰する「地域若者チャレンジ大賞」を始めて、地域で生まれているインターンシップの成果をショーアップして華やかに表彰する場をつくりました。
2つ目が、「CP(チャレンジ・プロデューサー)キャンプ」と名付け、今後もこのネットワークを維持していきたいと望んでくれたおよそ20団体の同志の皆さんと一緒に、今後どうしていくかを対等な目線で議論していく合宿形式のキャンプを始めました。
最後3つ目が、皆さん日本全国に散らばっていて、各地でどんな活動をしているのかがわからない状況だったので、それらを取りまとめて2週間に1度、社内報的なメルマガを配信することにしました。「あの地域では誰々も頑張ってるな」「自分も負けられないな」といった気分の醸成をする取り組みを始めました。
そのおかげもあってか、助成をつけられなくなった後も、ネットワークは今に至るまでおよそ20年継続できています。
長谷川:このネットワークをどうやって続けていこうかという議論を、およそ20団体の皆さんたちとしたとき、「金の切れ目が縁の切れ目にならないように、このネットワークだけは続けていきたいよね」といった内容のことを熱意を持ってそれぞれの代表者の方たちやスタッフの方たちがしていたことをすごく覚えています。
助成事業が終わったらつながりも薄くなっていってしまうこともある中で、今を迎えられてるのは、助成終了直後が一つエポックメイキングだったのかなと感じますね。
社会人向け、そして地域の大学と連携した1ヶ月のインターンプログラム開発をスタート
長谷川:次の注目すべきタイミングは2010年になります。ここで内閣府の「地域社会雇用創造事業」というものがありまして、瀬沼さんご紹介いただいてもいいでしょうか?
瀬沼:はい。社会の動きとしては、2009年から民主党に政権交代をしたというタイミングで、一つの目玉事業として、地域の中で、しかもソーシャルビジネス分野に対する助成事業として始まりました。当時、私は新潟のコーディネート団体にいたのですが、先ほど由利さんがおっしゃっていたメーリングリストが届いて、突然10億円の予算が決まったという驚きの知らせを受け取ったのを覚えています。
この事業をきっかけに、それまでは地元の大学生が地元の中小企業で半年間の長期実践型インターンシップをすることが事業の主軸だったのですが、社会人向けのインターンプログラムも新しく始められることになりました。
同時に、各地の大学と一緒に1ヶ月間のインターンシッププログラムのカリキュラム開発を始めたタイミングでもありました。当時は今ほどインターンシップの単位化がされていなかったり、地域との連携も弱く、長期実践型インターンシップは学期中もインターンシップに参加するため授業との両立が難しいと思われていました。
そこで、より多様な若者に実践型のインターンシップに参加してもらえるよう、エッセンスを抽出した1か月間のプログラムをつくりながら、大学と連携したカリキュラム開発を始めたんです。
>後編、「東日本大震災後の復興支援(2011~)」、「ローカルベンチャー協議会(2016~)」の取り組みに続きます。
イラスト(登壇者・記事中) : 藤田ハルノ
エティックが行ってきた長期実践型インターンシップについての書籍『長期実践型インターンシップ入門』が2024年3月にミネルヴァ書房から出版されました。
こちらの記事も合わせてお読みください。
>学生も成長し、企業の変革も加速するインターンシップの設計とは?「長期実践型インターンシップ入門」出版記念イベントレポート【1】
「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト」は今年20周年を迎えました。
11月9日には PiOPARK (東京都大田区)で「地域コーディネーターサミット2024」が開催されます。詳細はこちらをご覧ください。
https://challenge-community20.studio.site/
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