
1993年に学生団体として始まったNPO法人ETIC.(以下、エティック)は、2023年で30周年を迎えました。この連載では、皆さんと一緒に31年目を踏み出したいと、これまでのエティックを振り返るイベントとして開催された「30周年記念ダイアログ 創造と創発の30年と、未来へのギフト」のエッセンスをお届けしていきます。
今回のテーマは「エティックの組織変革」について。
2016年、「起業家精神あふれる社会を目指すのであれば、そのことをまずは自組織でも体現したい」という想いで新しい組織の方向性を模索し始めました。全社での対話や制度変革、様々な実験を経て、2021年にはピラミッド型組織から自律分散型(ティール組織)へ変革し、創業者である宮城治男も退任しました。
そこから2年を経て(2023年12月ダイアログ開催時点)、メンバー一人ひとりの起業家精神は以前よりも発揮される状況になりましたが、まだまだ課題もあり、変革の途上でもあります。
エティックはこの変革を、自分たちのためだけでなく、その成果と失敗も含めたプロセスを社会に広く共有する社会実験でもあると捉えています。今回のダイアログでは、この変革をリードしたメンバーとゲストスピーカーで、変革のプロセスを振り返り、今後に向けた対話を行います。
※記事の内容は2023年12月8日時点のものです。
転機は2011年。予算増に伴うスタッフ増員と事業部制の導入で、フラットだった組織が縦割りに
鈴木:こんにちは、鈴木敦子です。創業から参画していて、事務局長という立場で組織づくりを担当してきました。今回はエティックが組織変革に至ったプロセスをお伝えできればと思います。
エティックは、活動自体は1993年から始まっていて、法人化が2000年です。それから少しずつスタッフが増えて、転機になったのが2010年。それまでずっと20名ほどのスタッフ、2億円ぐらいの予算規模だったのが、倍以上の予算規模のお仕事をいただき、それに伴い人数を急激に増やさなくてはいけなくなりました。
組織の歪みが出るきっかけの典型ですが、スタッフ増加への準備が上手にできていなかったため、経営メンバーであるディレクターへの決裁待ち行列ができて「これはパンクしてしまう」という状態になってしまって。
また同年には東日本大震災があり、急遽、東北復興支援チームをつくり予算獲得と寄付の募集に動きました。「事業部を組成した」と言うと聞こえがいいですが、実際はメンバーを突如グルーピングして「とにかくここで分担して頑張ろう」と対応せざるを得なかった状況で、組織に相当負荷がかかりました。
スタッフはマネージャーをするのも初めてで、それまではディレクターがビジョンを掲げて一つひとつの意思決定を担っていたのに、急にマネージャーとして5〜10人のチームを抱えて、ディレクターから「自分たちでお願いします」と頼まれたような状態でした。
マネージャーとなったスタッフは本当に大変だったろうと思うのですが、2〜3年ぐらいかけてチームづくりを頑張ってくれて、ある種の事業部制が成り立ってきて、事業を進める体制はかろうじて保たれました。
ただ、ここで私の懺悔が一つあり、グルーピングを強化する方に重きを置いたがために、このときに組織全体としての話をあまりしなかったので、ここから縦割りに近いカルチャーになってきてしまったように感じていて。
各チームそれぞれはマネージャーが頑張ってくれて仲が良かったりするのですが、隣チームのことになると何をやってるかわからないとか、経営も何を考えてるかわからないという状態になっていきました。
弱音やネガティブなことを言いづらい組織文化。外部の力を借りることが、エティックには必要だった
鈴木:それから、いろんなことをチームで決めながらも、人事や給与に関しては全部ディレクターが決めていて、スタッフの中でも不満が出てきたりしていました。また、チームの中で解決しにくい問題が起きたときも、ディレクターは越権行為だから介入できないし、みんなが苦しくなってきてしまったのが2016年ぐらいでした。
この時期、半分ぐらいのスタッフが入社して1年経っていないようなメンバーだったので、新しいスタッフはそれまでのカルチャーとエティックのカルチャーとのギャップで苦しんだし、ぶつけられたマネージャーも苦しいし、退職も続いて起こりました。
そうした状況を前に、ミッションとして「起業家精神があふれる社会づくり」を謳っているエティック自体が自分たちの問題も解決できないのはいけないと、大きな問題意識を持ったのが組織変革の真の始まりだったと思っています。
また、この時期にあったエティックの組織文化として、「起業家精神返し」というものがありました。どういうことかというと、「起業家精神をみんな持とうよ」と活動していたので、「何か問題があったら自分で解決するよね」みたいな見えない圧力があって、弱音やネガティブなことをとても言いづらい組織でした。
そうした状況でしたので、「これはもう外の力を借りよう」と、まずは色んな方に相談させていただくことにしました。その一つとしてワークライフバランス社の無記名アンケートを実施してみたら、スタッフはとにかく時間に追われていてつらい、マネージャーもちょっと苦しい、ディレクターだけとってもご機嫌という、明らかな差が判明してしまったんです。
衝撃でしたが、でもこの結果があるから変革の起点になるねということで、何を改善していくべきかアセスメントしながら組織変革がスタートしました。
2017年「組織の未来創造委員会」チームが発足。スタッフ全員で『ティール組織』を読んでみたら……
番野:ソーシャルイノベーション事業部のマネージャーだった番野智行です。今回は、私の視点からこの変革を語らせていただきます。
当時、仕事でいろんな社会的事業の団体に関わらせていただく中で、悩みが「インパクトをどう出すか」や「資金をどう集めるか」だと思っていたら、ほとんどが組織運営に悩んでいるということが分かってきた時期でもありました。
例えば新しいスタッフは入るけど定着しづらくて、2ヶ月後には辞職されたという話が珍しくない状態で、それはエティックも同様でした。
実際に「この人はすごくフィットしそうだな」とお互い期待を持って参画したスタッフが「しんどいです」と言って辞めることがありました。
また、あるときの全社合宿で、今の業務を脇に置いて「こういうことを実現したい」「こういうことを大事にしてる」というエピソードを話し合うワークをやったとき、全員が素晴らしいことを言うんですが、ほとんどエティックでの仕事と結びついていなかったんです。
「これは自分たちが変わるべきというサインだ」とチーム内で話をし、この状態に答えを出すことが他団体への貢献にもなるだろうと考え、私個人も組織開発やコーチングを学び始めました。
そして、2017年ごろに「組織の未来創造委員会」が社内チームとして立ち上がって、私も参加させてもらうことになりました。
「組織の未来創造委員会」の最初の取り組みは、ちょうどその時期に出版された『ティール組織──マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』(フレデリック・ラルー 著, 鈴木立哉 翻訳,嘉村賢州 解説,英治出版,2018)をスタッフ全員に配り、アクティブ・ブック・ダイアログという分担方式で読み進めることでした。チームのメンバーは「この本はみんなの力になってくれるのでは」と思っていたのですが、意外とそうではありませんでした。では、その乗り気じゃない気持ちについてちゃんと対話しようと試みた際の記録が下図になります。
結果、様々な恐れがあることがわかりました。自由で分散型でみんなの価値観を大事にしてとなると、みんなやりたいことだけをやって副作用で一部の人に仕事が集中するとか、みんな自由すぎてだんだんチームが解散に追い込まれるとか。それすらも「NPOの役割を終えたからだよね」とポジティブに捉えて終わるんじゃないかとか。
「マネージャー制度を早急に廃止するなど一気に変革を進めたほうが良いのでは」という意見も一部あったんですけれど、この対話を踏まえ、今回のゲストスピーカーであるティール組織を研究している嘉村さんからご助言いただいて、急な変革はやめて組織文化や習慣を少しずつ変えていくことになりました。
組織へのモヤモヤも、意思決定も、やりたい仕事も、各スタッフ一人ひとりが尊重される組織へ
番野:ディレクターとスタッフがわざと対立する場所に座って、それぞれの声を出し切るというタフな対話もしました。このプロセスは、私自身にも多くの学びがありました。お伝えしたいなと思うのは、組織変革が成功するための基本条件です。私は特に下図の3と4の重要性を感じました。
組織変革を進める際、現状を見える化した上で、全体に投げかけていくことをとにかく意識したのですが、その際に建設的な提案に至らないモヤモヤ(=「テンション」と呼んでいる)も大切にするようにしました。
それまでは、問題があったら建設的な提案までしないと起業家精神が足りないと考え、結果、問題が未解決のまま溜まっていく構造がエティックにはあったと思います。特にディレクターは、できないものも含めてしんどくても全部受け止める器があるので、ディレクターも含めて全員がちゃんとモヤモヤや難しいと感じていることを声に出すようにしていきました。
次に、「助言プロセス」というものを導入しました。これは意思決定をするときに決裁をすべてディレクターに仰ぐのではなく、その意思決定が影響を与える人と専門性を持つ人に助言を求めて、受けた助言を真摯に検討すればその本人が決めていいというものです。するとディレクター決裁行列待ちが解消してきて、一人ひとりのやりたいことを大事にできるようになっていきました。
また人事について、それまでは半期ごとの面談で希望は聞いていたのですが、最終的にはマネジメント層がマネジメントの都合で決めていて、パフォーマンスが上がらない人事になってしまったり、最悪の場合は離職につながっていました。
これをやめて、どんな仕事をやりたいのか希望を伝える権利があるという前提のもと「尊重されると感じているか」、「自分は活かされているか」、「やりたい仕事ができているか」など、毎年各スタッフにアンケートをとることにしました。改善の余地があるということは「役割を変えるサイン」なのです。チーム間の人事異動も不具合の調整をしつつ自由にして、人を集められないプロジェクトに関しては存続の必要性を問い直すようになりました。
この変化によって何が起きたかというと、「自分がやりたい仕事をやらせてもらっているのだから、ちゃんと稼ぐことにも向き合う」という主体的な姿勢が増えたと感じます。その象徴の一つとして、それまで社会起業家支援をしていたスタッフ佐々木が、「社会起業家も好きだけれど、もっといろんなチャレンジャーを応援したいんだ」と言って、本人の意思を起点に独立して事業部を作りました。この事業部は今も続いていて、本人の情熱を大事にすることがインパクトの最大化につながるなと手応えを感じた出来事でもありました。
感情の奥に眠っている大事なニーズを「聞く力」が養われたとき、流れが変わった
鈴木:「テンション」を扱おうとなった最初のとき、「自分の中のネガティブなことを出そう」と言っても中々出なかったので、みんなで練習したんですよ。私自身、自己解決する癖が付いてしまっていて、もう何十年もそうしていたことに気づきました。
しばらくして、ディレクターとして「みんなと一緒に毎日仕事してるわけじゃないのに、給与を決めることがモヤっとする」と話したら、すごくびっくりされて。それ以来、みんなが手伝ってくれ始めたんです。
番野:私も反省しているのですが、ディレクターは経営者としての報酬と権限を与えられているのだから、それに見合った経営をちゃんとすべきだと無意識に思い込んでいました。けれどディレクターを1人の人間として見たとき、素晴らしい起業家ではある一方で、組織マネジメントに強みがあるかというと、意外とそうでもないかなと思ったんですね。そういう人たちに、無理やり経営を押し付けていたんだなと気づかされました。
嘉村:エティックの組織変革の伴走をさせていただいている嘉村賢州です。当時、「テンション」は宝の山だという話をしていたんですよね。大抵のチームでは、重要な見解でもリーダーや大多数のメンバーと異なる意見の場合、無視されたり却下されることがほとんどであると言われています。だからこそそうした個々人の「テンション」に寄り添うことで組織構造を進化させ続ける方法論を学んでいくことが進化型組織の運営方法の一つでもある「ホラクラシー」では提唱されているのですが、この哲学はエティックにすごく浸透したのかなと思っています。
辰巳:エティック元スタッフの辰巳真理子です。「DRIVEメディア」でエティックの組織変革についての記事を取材・執筆しています。
いま私は開校して4年目のベンチャーのような学校で仕事をしていて、その組織運営について、どうしたらいいのだろうと試行錯誤していることがあって。「みんながつくり手であろう」と子どもにも言っている学校なので、教員もつくり手でありたいと思っているのですが、前職で学校勤務の経験がある教員からすると校長が意思決定をしてくれる、理事長が経営的なことを判断してくれることが当然のことになっていて、経営者に対する期待と裏切りのループを繰り返している同僚は多いなと感じています。
私も同様にしばらくはそうした気持ちを持っていたんですけれど、諦めも含めて手放せるようになり、けれど他人に「それを手放そう」というのは難しいと思っていて。番野さんの気づきを他のスタッフはどんなふうに受け取っていったのでしょうか。
番野:本当に反省しかないんですが、その点において私は大きな間違いをしてしまっていて、自分自身が「組織を良くしたい、でもうまくいかない」というフラストレーションを抱いていた時期、同じような仲間と自然と飲み屋に集まっては不満をぶつけ、シンパを増やすような動きをしてしまっていたんです。
それが問題だと気づけた後、「ディレクターを1人の人間として見たときに、起業家としてすごく輝く才能があるにも関わらず、別のことに時間を使っているからすごくもったいない。組織運営は力を合わせたほうがいいと思うんだよね」みたいなことを伝えるようにしました。
野田:スタッフの野田香織です。私は2009年の入社なんですけれど、明確にマネージャーやディレクターという役職があった時代は、何かあったらその人に言えばいいと皆が思っていたので、文句が言いやすかったんです。
でも、マネージャーやディレクター自身も実は1人の人間だと気づいた私自身のきっかけは、敦子さんや宮城さんがなんだかすごいしんどそうだなと思ったときに、友達としてつらくなったという体験でした。
そして、テンションを出すことの訓練をスタッフ全員で何回か繰り返したあたりで、敦子さんが「もう自分は本当はこんなことしたくないんだ」っていう心からのテンションの話をしてくれてすごく申し訳ない気持ちがいっぱい湧いてきたんです。
嘉村:プラスの感情にもマイナスの感情にも、奥にはその人の大事なニーズが眠っているということがエティック内で共有されて、そこまでちゃんと拾うための「聞く力」が養われる前は、それらを共有したとしても論破され傷つく恐れ、どうせ受け入れられないと言った諦めが皆さんの中にあったように感じていました。
けれど組織変革が進んで、何名かがネガティブなことを共有した際、「そこには何があるんだろう」と向き合う人が1人、2人、3人と増えていきましたよね。そうした流れの中で、「言ってみたら違うことが始まるかもしれない」と思えるようになっていったように思います。
>後編へ続きます。(近日公開予定です)
イラスト(登壇者・記事中) : 藤田ハルノ
エティックが行ってきた長期実践型インターンシップについての書籍『長期実践型インターンシップ入門』が2024年3月にミネルヴァ書房から出版されました。
こちらの記事も合わせてお読みください。
>学生も成長し、企業の変革も加速するインターンシップの設計とは?「長期実践型インターンシップ入門」出版記念イベントレポート【1】
関連記事
>ETIC.の次世代リーダー育成とインターンシップ(前編) 【30周年記念ダイアログ 創造と創発の30年と、未来へのギフト(1)】
>ETIC.の次世代リーダー育成とインターンシップ(後編) 【30周年記念ダイアログ 創造と創発の30年と、未来へのギフト(2)】
>地域とのパートナーシップの広がり(前編) 【30周年記念ダイアログ 創造と創発の30年と、未来へのギフト(3)】
>地域とのパートナーシップの広がり(後編) 【30周年記念ダイアログ 創造と創発の30年と、未来へのギフト(4)】