社員インタビュー
現場のスタッフと共に「最適な技術」を開発する。エコシステムの構築で変化するIT伴走支援の現在地。ETIC.スタッフインタビュー──高木俊之
近くの地域が被災した。動きたいけど、動くための資金がない。こんな声が、災害直後の活動団体から挙がります。
ETIC.が事務局を務めるチャレンジ・コミュニティ・プロジェクトは、2022年に「災害支援基金プロジェクト(SSF)」を設立。プロジェクトの会員同士で、発災直後に初動で動ける人材と資金を融通し合う仕組みを運用してきました。この4年間、新潟や能登、青森などで発生した災害に派遣した人材は16名、支援した資金は400万円を超えます。
この取り組みによる支援体制の構築強化を目指し、今年2026年には法人化。ETIC.から独立した組織として「一般社団法人チャレコミ災害支援ネットワーク」が設立されました。なぜ法人設立に至ったのか?被災地で、この活動がどう活かされていくのか?災害支援会員制度の設立・運用から新法人設立までをリードしてきた瀬沼希望に話を聞きました。

仲間と共に日本を変えようとする、本気の大人に衝撃を受けた大学生時代
木村:あらためて、ETIC.(以下エティック)で働くきっかけを聞かせてください。
瀬沼:一番最初は、大学1年生の春に、エティックが運営していた「東京ベンチャー留学」というプログラムに新潟から参加したことです。地方の大学生が東京に来て、ベンチャー企業の社長の話を聞き、アントレプレナーシップを学ぶプログラムでした。当時、新潟にチャレコミ(チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト*)の会員団体があって、そこで「こういうのあるよ」と聞き、「おもしろそうだから参加します」と言ったのが最初ですね。
その後、プログラムの運営側に関わる機会がありました。チャレコミのギャザリング(集合研修)で、大人たちが熱く語っているのを見て、「あ、なるほど。日本にこういう大人たちがいっぱい増えたらいいんだな!」って思いました。
木村:その大人たちは、何をしようとしている人たちに見えたんですか。
瀬沼:「自分たちで日本を変えていこう、この仲間と一緒に!」と本気で思っている人たちでした。「本当にこんな人たちいるんだ」と衝撃を受けたことを、かなり明確に覚えています。当時の私の卒業後の選択肢は、自分で新潟でコーディネート団体を立ち上げるか、エティックに就職してコーディネーター人材を増やすかの二択でした。「日本全体を良くしていこう”と思って仕事をする人を、どっちが先に全国に増やせるか」と考えたときに、自分で団体を立ち上げて活動するよりも「コーディネーター人材を増やす仕事」をやったほうが早そうだと思って、大学3年から4年にかけて1年休学してエティックでインターンを始め、そのままエティックに入社しました。
*チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト:地域の仕事づくりや人材育成を担うまちづくり団体の全国ネットワーク
木村:入社から今までを振り返ると、瀬沼さんは何を仕事にしてきたと思いますか?
瀬沼:「全国に挑戦の生態系を広げる」という仕事を、ずっとしてきたと思います。最終的に、全国どこに住んでいても、誰もが挑戦できる環境にアクセスできるようにしたい。そこにつながっていない仕事はなかったんじゃないかと思います。
木村:その裏には、「住む場所によって挑戦が狭められている人がいる」という課題感があったのでしょうか。
瀬沼:自分がそうだったからですかね。地方の大学でしたし。今はオンラインでできることも広がっているので、どこにいても挑戦できる環境自体は整ってきていると思います。でも、環境があっても、それを後押ししてくれる人がいたり、そもそも「そういう選択肢がある」ということに巡り合わないと、実際にその行動をとれる人って限られてしまうと思うんです。
一人でやれる人はどこにいてもやれる。そうじゃない人たちの身近には、会社経営している人も、休学している人もいない。実態としては「できる」けど、選択肢としてその行動をとる人は少ない。チャレコミが、「地域の挑戦を増やす」のではなく「挑戦の生態系をつくる」と言っている理由は、挑戦することだけじゃなくて、挑戦しやすい環境をつくることが、挑戦する人が増えることにつながると信じているからです。
木村:その挑戦の生態系づくりは、今どれくらいまで到達した感覚がありますか?
瀬沼:まだまだ、永遠にまだまだな気がしています。以前は、大学生向けのプログラムに特化していましたが、今は大学生だけじゃなく、高校生や社会人など、対象にする人が増えています。今回の災害支援会員制度の法人化もそうですが、本当に地域に必要なことを考えたら、どんどん必要なものが増えていく。ありがたいことに、自分たちでできる領域も少しずつ広がって役に立てることも増えているので、充足していくというよりは、どこまでも広がっていますね。
木村:地域が必要なことを考えていくなかで見えてきた課題の一つが、今回法人化したことによる災害支援や事前の備えにつながってくるわけですね。瀬沼さんの中では、チャレコミの事業と災害支援の事業はもともとリンクしていたんですか?
瀬沼:私の中での災害支援事業は、今までのチャレコミの取り組みの上に乗っている「アプリケーションの一つ」のような感覚です。チャレコミがインターンシップ、副業兼業、越境研修、関係人口づくりなどいろいろな取り組みをやっているなかの一つに災害支援があるという位置づけですね。
エティックが本格的に災害支援に取り組み始めたのは東日本大震災でしたが、当時、東京に来たばかりだった私はすごく鮮明に覚えているやり取りがあります。震災直後、東北ではガソリンスタンドが営業していなくて、物資を運びたいけれど「運べる車とガソリンがない」という状況でした。
チャレコミのメーリングリストで現地からそのSOSが流れてきたとき、東京のエティックのインターンの受け入れ先企業に、トラックを持っている会社があったんです。「うちのトラックを貸します。そこに物資を積んで、東京でガソリンを満タンに入れて現地まで運びますよ」というやり取りが、発災からわずか1週間後に行われていました。「普段からの関係がなかったら、こんなスピードで物資を調達して現地に行くなんてできない、この人たちすごい」と思って見ていました。
木村:発災前からの関係性が、いざというときに効くんだということをそこで学んだんですね。
瀬沼:そうですね。ただ、東日本大震災では、沿岸部の被害が大きかったのに対し、支援する範囲が広範で規模も大きく担い手が圧倒的に足りませんでした。なのでエティックが直接、右腕人材を派遣する支援をしながら、東北のコーディネート団体を発掘していきました。自分の地域を自分たちの手で支える地元のコーディネート団体を増やす。その思想は、「チャレコミを(エティックの)支社にしなかった」ときからずっと一緒です。
自分の地域に思いを持っている人たちがその地域に根差して事業をやることを大事にしています。エティックではなく別の法人であれば直営でやる選択肢も事業的には普通にあると思うのですが、そうではなく、地域の中で担い手を育てて、エティックや全国のノウハウ・機能を現場に移行していく。それはずっと一貫しています。
それはエティックのミッションでもあるアントレプレナーシップを世の中に広げていくことにもつながりますが、担い手となる人がアントレプレナーシップを最も発揮できる環境を作り続けることが、地域に根ざした活動が残っていくことにつながると思っています。その一つの要素が、その人が思いを持てる地域で自分の思いに根ざした事業をやることだと思っています。
木村:2022年に「SSF(災害支援基金)」が始まりました。どのように生まれたのですか?
瀬沼:きっかけは2021年に起きた熱海の土石流災害です。熱海にはエティックと10年以上ご縁がある団体が活動していて、災害の発生直後に「サポートしてもらえませんか」と相談をもらいました。そこでエティックの周りの企業に状況を伝え、社員ボランティアや寄付を集めました。ただ、発災後に動き始めたので「ある程度の資金調達ができるまで、初動で動けるお金が全然ない」という課題に直面したんです。
そんなことがあったあとに各地のパートナーに話を聞いてみると、実は、鳥取の台風被害で梨農家さんが被害を受けてサポートに動いているけれど「完全に無償で動いています」という話があったり。九州や沖縄でも台風が来て「被害状況を確認しに行きたいんだけど、確認しに行く人の人件費がないし、長期的なサポートも先立つものがないからできない」という話が上がってきました。
だったら、普段からお金をプールしておけば、発災してすぐに動く初動のお金が出せるんじゃないかと考えました。災害支援というと、みんな能登半島地震のような大きな災害をイメージしますが、大雨での局所的な被害や、台風で屋根が飛ばされたといった、翌日には全国ニュースでは報道されなくなるような小さな災害は全国でたくさん起きています。その地域ではプレイヤーが少なければ少ないほど対応できる人も少ない。
初動で動くためのお金って、別に100万、300万必要なわけじゃなくて、20〜30万円でもあれば、1カ月間、人を1人動かしていろいろなサポートができるんです。だから、まずは自分たちでお金を出し合って、何かあったらすぐに動けるサポートのお金を作りたいね、と始まったのがSSFです。
木村:これまで4年間で7地域・8回活用され、16人の人材と約400万円の支援を行いました。この実績はどう捉えていますか?
瀬沼:結構使っていただいたと思います。たくさん使われたということは、それだけ災害が多いということなので手放しには喜べないですが。能登半島地震の復興支援は休眠預金など別の資金調達もしましたが、特に初動のときはこのSSFの動きが基盤になって動けている部分も大きいので、金額以上に大きなインパクトを生み出せている実感があります。
事務局として気をつけているのは、何かあったら「大丈夫ですか?」とこちらから連絡を取ることです。津波警報が出たら、エティックで一緒にお仕事している人たちに連絡を入れます。そうすると「いや、実は……」と被害があってどうしようかと思っていた、という返信から支援につながることが多いんです。普段からの関係性があるから機能していると思います。
木村:自分からは言い出せないけれど、聞かれたら「実は……」と出てくるんですね。
瀬沼:そうなんです。みんな災害支援の専門家じゃないので、普段は関係人口づくりや移住定住支援、宿の運営などをしているなかで、急に被災という事実が襲ってくる。そうすると、現場の人たち自身も「これが大きな被害なのか、大変なことなのかすらもわからない」状態になってしまうんです。そんなときに、「そういう状況なら全然使ってください、申請してください」と声をかけられるかどうかで、利用率は大きく変わります。
例えば、鹿児島市で水害があったとき、雨は2日ほどで止み、ほとんど被害がなかったのですが、パートナー団体の支援先であるキャンプ場の土地が陥没してしまいました。局所的すぎて行政の支援もなく、ボランティアセンターも設置されない。SSFの基金はキャンプ場の修理費自体は出せないのですが、「これからどうするか」「銀行や市役所にどう話すか」という意思決定に伴走する人や、他のエリアの被害状況を調査する人が動くためのお金を支援しました。
行政の支援などはどうしても人命優先になるので、事業者支援は後回しになりがちですが、支援の手が届きづらいところに寄り添う人たちを支援しています。
木村:その4年間を経て、今回法人化してSSFの事業を独立させました。その背景を教えてください。
瀬沼:今、国が災害対応に力を入れていて、防災庁がつくられようとしたり、都道府県単位で「災害中間支援組織」をつくろうという動きが進んでいたりします。でも、私たちがやってきた動きは、もっと細かい市区町村単位や、小さな集落単位です。現場の取り組みと、県がやっている大きな枠組みの動きをつなぐ網の目が細かくないといけない、そういう実感が能登半島地震ではありました。
能登で、現場に根付いて活動しているまちづくり団体があります。彼らは現場でいろいろな取り組みをして情報も持っていたのですが、災害支援の領域の方々にはあまり認知されていませんでした。
御祓川には、普段から地元の人とやり取りをしているからこそ、小さな集落に物資や炊き出しが届いていないことや、あの人が困っているという小さなニーズまでたくさんの情報が集まっていましたが、その情報を災害対応を検討している県や市・社会福祉協議会さんなどに共有するまでに時間がかかってしまったのも事実です。
私たちの仲間がやっている細やかな支援の動きを、国や県などの大きな枠組みにつなぐ役割を果たさないと、現場の彼らの動きが活かされないと強く感じました。そこで法人化したんです。
木村:わかりやすく言うと、新しい法人はどういうポジションの組織になるんですか?
瀬沼:新法人は、地域でのまちづくり団体たちが災害時に備えて普段から学んだり災害時にはお互いに応援人材を送り込んだりといった動きを支援するネットワークです。まず、「地域でのまちづくり活動をしている法人や団体が市町村やもっと小さいエリアにあるんだ」と認識してもらうことが大事だと思っています。
今、国が主導で設置を進めている災害中間支援組織は、都道府県単位が主になっています。でも、いざ災害が起きたとき、県庁所在地に一つ拠点があればいいわけではなくて、災害が起こった現場で関わっている人がいることが大事です。市区町村の中でもエリアで状況は全く異なるので、現場でその違いを把握して、状況別の支援を考えて行うことが重要です。その認識が地域の団体側にも都道府県側にも伝わっていなかったり、わかっていても担い手を見つけられていなかったりします。
だからこそ、国や県が担う大きなシステムを補完する役割として、「こういう組織もあるんだね」と理解してもらえたらと思っています。
木村:そのエリアをよく知っている人や団体が地域にもともといるということを認知してもらうことが重要なんですね。
瀬沼:能登半島地震のときもそうですが、金沢に石川県庁があっても、金沢と能登では状況が全く違います。金沢にいながら現場に行かずに能登の状況を想像するのはほぼ不可能です。それは全国各地どこでも同じだと思います。災害時は国の支援制度がたくさんあるため、その制度に則って動いていくとなると、特に広域の災害時はどうしても都道府県とのコミュニケーションが必要です。
そうなったとき、市町村や集落などの現場の情報を伝えられないと、結局状況がわからず、支援が行き届かなかったり、逆に不要な支援が過剰に集まったりといったことが起こります。それを防ぐための頼れる相手であり、市区町村域の情報を拾える団体があるということを国や県にも知ってもらうことが大切です。また同時に、地域で活動する団体にも、自分たちが普段やっている仕事が災害時にも役に立つということも伝えていきたいと思っています。
木村:これまではチャレコミの会員制度として顔の見える関係で支援をしてきました。法人化して大きく広げていくとなると、これまでと変わってくることはありますか?
瀬沼:まだまだチャレコミ自体の会員団体もそうですし、エティックの周りにいる皆さんにもこの仕組みを伝えきれていないという課題感があります。まずは、そういう方たちに入ってもらえるよう、コミュニケーションをとっていきたいですし、今後は企業やソーシャルセクターの皆さんにも広げていきたいですね。
もう一つは、全国のコミュニティ財団の皆さんとの連携です。最近お話しすることが多いのですが、能登半島地震のときも、大きなお金ではなく「10万や20万あれば子どもたちの居場所がつくれる」「アレルギー対応の食事が買える」といった地域の小さな動きに対して、少額のお金を出す役割をコミュニティ財団の方々が担っていました。彼らは普段から地域のニーズを拾って、助成プログラムを組成している方々でもあります。
そういう皆さんとも今後はより連携を取りながら一緒にやっていきたいと思い、今回、新法人の監事に公益財団法人長野県みらい基金代表の高橋潤さんにも入っていただきました。災害支援や災害対応はどのエリアでも関係があることなので、これをきっかけに関わってくださった団体が、エティックのほかのプログラムやチャレコミでもご一緒するといった「相互乗り入れ」のような形になっていくとうれしいです。
木村:ありがとうございました。
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